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記憶のかけら [日々鉄道小景~ショートストーリー]

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「え~!その話この前したじゃん!勇太くん、また忘れちゃったの?」
まだ春と呼ぶには少し肌寒い、それでもよく晴れた日曜日の夕刻、京浜東北線が桜木町の駅を発車して間もなく、隣の席の真紀があきれたような声を上げた。電車の中は休日を遊園地などで過ごした家族連れやカップルが多く、車内にはそんな人たちの心地よい疲れと談笑が満ちていた。

「そうだっけ?そんな話したっけかなあ?」
真紀が話題にしているのは、彼女の職場の同僚の話。どう考えても僕には聞いた記憶がないのだが、彼女は頑として譲らない。
「したよ、した!おととい恵比寿で食事してるとき。もう忘れちゃったの?」
そう言われれば、おぼろげながら記憶のかけらがよみがえって来るのだが、依然、それがおとといの話なのか、1か月前の話なのか、彼女の職場の同僚の話なのか、学生時代の友人の話なのか、判然としない。
「そう言われれば、そういう気がするけど…それにしても、真紀は記憶力いいね」
「勇太くんが悪すぎるんだよ!なんでおととい話したことも覚えてないの?もしかして健忘症?」
……相変わらず真紀は口が悪い。気が強く、思った事がすぐに口をついて出てしまうタイプで、時折きつい事も言うが、悪気はなく、そんな所が僕はひそかに好きだったりする。
「やっぱりさ、年齢重ねると脳が老化するっていうじゃない?勇太くんも今のうちから『脳を鍛えるトレーニング』とかやっといた方がいいよ。そうじゃないと、おじいちゃんみたいになっちゃうよ!」
「あはは…そうだね、もっと記憶力が良くならなくちゃいけないなあ」

僕は敢えて間延びしたような声を上げて、目を窓の外に向けた。
窓の向こうには、高速道路の高架線と、その先に雑居ビルの群が、そしてその間から時折夕日がチラッチラッと姿をのぞかせていた。今日はやけに夕日が目に眩しいのは、一日中遊びまわっていた疲れからだろうか。




……「ユウちゃんは、記憶力がいいからねえ」
しばらくウトウトしてしまったのだろうか、ふと懐かしい声が耳に響いてきて、僕は、はっと目を覚ました。隣を見ると、さっきまでいたはずの真紀の姿が見えない。僕はあわてた。今度は寝過ごして、真紀は怒って一人で帰ってしまったのだろうか…?


………それにしても、さっきの声は…


「だって、あんなに分厚い絵本を全部そらでスラスラ言えちゃうんだもの。ばあちゃんビックリしちゃったよ…」
声のする方を見て、僕は起きたとき以上にびっくりして、思わず「あっ」と声を上げた。ななめ前の優先席に年老いた老婆と小さな男の子が座っているのだが、その老婆は僕が高校生のときに亡くなった祖母にそっくりだったからだ。


………小さい頃、僕はおばあちゃん子だった。僕がまだものごころつく前から母はフルタイムで働きに出ており、祖母が母親代わりとなって僕の面倒を見てくれていた。なぜ母は僕が小さい頃から働きに出ていたのか…中学校に入るまで、僕はその本当の理由を知らなかった。


「本当にユウちゃんはすごいねえ…」
老婆は、孫とおぼしき少年の頭をなでながら、優しくそう言って笑っていた。
「ばあちゃん、『きおく』ってなあに?」
「そうだねえ、なんでもよ~く覚えてるってことだよ」
「ふーん…」
男の子は、老婆の言うことを理解したのかしていないのか、所在なげに足をブラブラさせて退屈そうに座席に座っていた。


………いや、あの人が祖母であるはずがない。祖母は僕が高校生のときに心筋梗塞でパッタリ倒れ、そのまま亡くなってしまったのだ。


「でも、この前の『ももたろう』なんてさ、すぐに覚えちゃうよ。だってそんなに長くないんだもの。お父さんが今度買ってきてくれた本は『トムソーヤのぼうけん』っていってね、もっと難しい本なんだよ!でも、ばあちゃんはせっかく僕がその本読んでたのに、なんで急にお出かけしようなんて言ったの?」
男の子は少し不服そうに老婆に対して口をとがらせた。
「そうだったかい、ごめんねえ…。どうしても急なご用があったもんでねえ。でもそんな難しいご本読むなんてユウちゃんは本当にすごいねぇ。」
老婆は、孫とおぼしきこの少年のことが可愛くて仕方がないらしく、またゆっくりと男の子の頭をなでながらそう言った。
ふと、老婆の顔に深い悲しみのような影が横たわったように見えたが、その表情は電車がトンネルに入るとすぐに見えなくなってしまった。


………「お父さん」か…。
父は、僕が幼い時に交通事故で死んだのだと祖母から聞かされたのは、確か小学校1年生くらいのことだったように記憶している。その当時の僕は、「死」というものを正確には理解していなかったかも知れないが、それでもテレビなどで「死」というものがどのようなものなのか、そしてそれが悲しい出来事なのだということを漠然と理解はしていたのだと思う。そういえば、祖母がその話をしたときも、目の前の老婆が見せたような悲しげな表情をしていたような気がする。あの当時は、てっきりそれが「お父さんが死んでしまった」ことを悲しんでいるからだと思っていたのだが。


列車はどこかの鉄橋を渡っていた。老婆はウトウトと眠ってしまったようだ。少年は相変わらず足をブラブラさせながら、何を考えているのか、じっと窓の外を見ている。
遠くの川向こうに、今まさに沈まんとする夕陽が、寂しそうにその最後のひとしずくを車内に投げかけていた。鉄橋のトラスと電車の窓枠によって作られた夕陽の影絵は、鉄橋を渡る列車の規則的なジョイント音とリズムを合わせながら、いつの間にか老婆と少年以外誰も乗客の居なくなったロングシートの座席を何度も通り過ぎていった。


デジャビュ(既視夢)を見る感覚というのはこういうものなのだろうか?
夕陽の影絵がからっぽな列車の車内をスーっと通り過ぎていくその様は、僕の頭の片隅に、なにか遠い日の記憶のかけらを呼び起こしたような気がしたのだが、それはすぐに、僕の脳内という迷路の中に再び行方をくらましてしまった。
やはり、真紀の言うとおり、健忘症なのだろうか?どうして僕はこう大事なことをすぐに忘れてしまうんだろう…


「蒲田~蒲田~東急線はお乗換えです~!」
僕の思考は、電車のドアが乱暴に開く音と、スピーカーから聞こえてくる大音量の駅員のダミ声によって、突然かき消された。
いや、そうではない。開いたドアから息を切らせて乗り込んできた若い女性の姿を見て、僕の思考がストップしたのだ。


「勇太!」


…勇太?…


女性は大きな声で叫ぶと、老婆と少年の方に一目散に駆け寄ってきた。

「おかあさん!」
少年もまた、座席から飛び降り女性のもとに駆け寄って、足にしがみついた。

女性は辺りをはばかることなく、いきなり少年を抱き上げて、強く抱きしめた。
「ああ、良かった!勇太…」
女性は泣いているようだった。一筋の涙が、女性の頬を伝わり、それは抱き寄せている少年の真っ赤な頬にも伝わっていった。

その涙を見て、いやその涙が「僕」の頬を伝わる感覚を思い出し、そして、そのときようやく、僕の脳内に迷い込んでいた記憶のかけらが、一つの形を為して、僕の目の前に姿を現した。
……あの日…僕はお父さんに買ってもらった本を置きっぱなしにして、ばあちゃんに連れて行かれたんだ……


………父は、本当は死んでいなかったということを祖母から聞かされたのは、僕が中学生になった年の誕生日だった。父と母は、僕が幼稚園に入園するまさにその日に離婚届を提出し、正式に離婚が成立した。
離婚理由は「性格の不一致」。と言えば聞こえはいいけれど、父は今でいうDVのような事もやっていたらしい。母が若すぎたということもあり、上手く対応できなかったのも、原因の一つにあったようだ。
いろいろすったもんだがあった挙句、母は身一つで家を飛び出し、幼稚園入園の前日に、ようやく祖母が僕を「取り返し」に父の家に出向いたという話を、祖母は泣きながら僕に語っていた。

……「ごめんねえ、春だって言うのにあの日は寒くてねえ。でもユウちゃんは黙ってばあちゃんについて来てくれてねえ…一生懸命ご本を読んでるのを無理に連れ出すのは、そりゃ忍びなかったよ…本当にごめんねえ…ユウちゃんには悲しい思いをさせちゃったねえ…ごめんねえ…」

何度も何度も泣きながら僕に謝る祖母の顔は、そう、先ほどトンネルに入る直前に少年に見せた悲しそうな表情そのものだったのだ。
……半ば強制的に父親のいない生活を孫に送らせることになってしまったこと、そしてそんな孫に「父親は死んだ」と嘘をついていたことに、祖母はずっと罪悪感を感じていたのだと思う。



………人の記憶というのは不思議なものだ。普段はそんなことを考えもせずに毎日を暮らしているのに、こうやって一旦思い出すと、その当時の記憶がとめどなく堰を切ったようにあふれてくる。

父と一緒に枕元で本を読んだこと。
母が団地の台所でネギを刻んでいた包丁のトントンという音。
父と母と三人でたまに遊びに行ったときの祖母のうれしそうな笑顔。


……そして、父が母に手をあげる瞬間。


少年が母に手をとられて、蒲田駅のホームを歩いていく様子を眺める僕の目から、涙がとめどなくこぼれ落ちてきた。
「こんな、こんなつらい記憶を思い出すなんて!なんで…なんで……」
いつしか、僕は本当に子供のように、大声で泣き出し、その場にしゃがみこんでいたのだった…




……ふと温かい手が僕の背中をさすってくれているのを感じて、僕ははっと顔を上げた。


……懐かしい顔が近くにあった。


「ごめんねえ、ユウちゃん…」
「…ばあちゃん!」
「もう二度とユウちゃんに悲しい思いをさせないって誓ったのに、大人になったユウちゃんにまで悲しい思いをさせちゃったねえ。本当にごめんねえ…」

祖母は少し寂しそうな顔をしながら、僕にゆっくりと話しかけた。

「…なんで僕が勇太だって分かったの?」
「なに言ってるんだよ、ばかだねえ。すぐに分かるよ。ユウちゃんはユウちゃんじゃないか。」

祖母の優しい笑顔を見て、一旦はとまった涙がまたこぼれ落ちてくる。

「ほらほら、良い子だから、また泣いちゃあいやだよ。もうそんなに泣かないでおくれ」
「ごめんね、ばあちゃん。ばあちゃんの方こそつらかったのにね」
「そんなことないよ。でも本当に大きくなったねえ。まあ立派になって…ばあちゃんうれしいよ。」

「ばあちゃん…」
「ん~?なんだい?」
「なんでこんなつらい記憶を思い出さなきゃいけないんだろう…。つらい記憶なんて、全部忘れちゃえばいいのに」

僕は、子供の頃に戻ったかのように、少し口をとがらせて、不満げに祖母にそう尋ねた。

「そうだねえ。その方が楽かもしれないねえ。でもね、ユウちゃん。つらい記憶を背負ってにんげんは生きていくものなんだよ…それにね、つらい記憶を持ってる人は、傷ついた人はね、きっと、きっと人に優しくできる」
「そんな!こんなつらい記憶なんて持ってたら……僕ぜったい人に優しくなんかできないよ!」
「大丈夫だよ…ユウちゃんなら。ユウちゃんは本当に優しい子じゃないか。ばあちゃんずっと見てきたよ。それにさっき隣にいた、かわいらしい女の子はユウちゃんの恋人かい?ほら、ユウちゃんはあの子にもあんなに優しいじゃないか」

そう言って祖母は、さっき少年の「僕」にしてくれたように、優しく僕の頭をなでてくれた。

「……ばあちゃん…」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ…そうだ、おまじないをしてあげようか。ユウちゃん、手を出してごらん。赤ちゃんの頃、こうやってばあちゃんがユウちゃんの手を握ってね、『怖いの、怖いの飛んでけ~!』っていうと、ユウちゃんすぐに泣き止んでくれてね。
ほら、『怖いの、怖いの飛んでけ~!』 どうだい、少しは元気になったかい?」
「あはは…ばあちゃん恥ずかしいよ…もうこれでもいい大人なんだから…」
「そうだったねえ、ごめんねえ。いつまでも赤ん坊のときのユウちゃんのままみたいでねえ」
「…でもありがとう。ばあちゃんに手握ってもらったら、少し元気が出たよ…」
「そうかいそうかい、良かったねえ…」




……列車はいつの間にか、古い小さな駅に停車していた。ホームにぽつんと立つ小さな電灯が、寂しそうに光っている。

「ああ、ユウちゃん、そろそろばあちゃん行かなくちゃいけないよ…」
「そんな!今会ったばっかりじゃないか!いやだよ!行かないでよ、ばあちゃん!!」
「ごめんねえユウちゃん、でもやっぱりもう行かなきゃいけないよ…じゃあねユウちゃん」

祖母は少し寂しげに笑いながら、そう言って立ち上がった。

「ばあちゃん、行かないで!!」
「大丈夫だよ、ユウちゃんはもう一人じゃないから…あの子と仲良く暮らすんだよ…」

列車のドアが、スーっと開いた。

「じゃあね、ユウちゃん。元気でね…」

「ばあちゃん!!」


……だいじょうぶだよ……


次第に遠ざかる声がこだまのように僕の耳に優しく響き、声は一つの音となり、鉄路を行く列車のジョイント音となって僕の耳に届いて来る…

…それはまるで遠い昔、祖母に抱かれて眠っていたときの、優しく背中をたたきながら聞かせてもらったあの子守唄のようであった…


********************


目を覚ますと、電車は市街地を走っていた。外はとっぷりと日が暮れて、家々の明かりが灯り始めている。

傍らではすっかりしゃべり疲れた様子の真紀が僕の肩に寄りかかって、軽く寝息を立てている。
先ほどまで老婆と少年が座っていたはずの優先席には、ギターを担いだ茶髪の高校生2人組が大声で談笑しており、それを近くのサラリーマンが苦々しそうに見ていた。

僕は苦笑いをしながら、もう一度真紀を見たあと、自分の手のひらを見つめた。

たぶん、夢、だったのだろう。
さっきまで祖母が握ってくれていた手の中には、昨日会社の近くでこの日のために買ってきた「それ」を包んだ小さな箱が握りしめられている。
なんたって、給料3ヶ月分だから!なくしたら大変だと、電車に乗る前からずっと手に持っていたのだ。
僕はこれを真紀に渡すことが出来るのだろうか。いや、渡す資格が僕にはあるのだろうか…

遠い日の記憶のかけらの問いかけに

……だいじょうぶだよ……

ばあちゃんの声が聞こえた気がした…


「ご乗車ありがとうございました~まもなく蒲田~蒲田でございます。東急線はお乗換えです~」
普段はテープのアナウンスのはずなのに、今日は久しぶりに「懐かしい?」だみ声の車掌さんのアナウンスが聞こえてきた。

蒲田を過ぎたら、もう間もなく僕たちが暮らす街が見えてくる……

僕は、隣でまだ眠っている真紀を起こすために声をかけようと、一つ大きな深呼吸をした…


[カバー写真 2010/11/06 新橋駅 /この物語はフィクションです]

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エゾシカとともに~北海道旅行記3 [北海道]

降りしきる雪の中、カメラを向けた先にはエゾシカが。
北海道ではよく見られる光景ですが、列車と一緒に撮影できたのはラッキーでした。
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[2011/02/05 釧網本線 塘路~茅沼]

複数の方から、「ショートストーリーの最新作はまだ?」という励ましというか、催促を頂いております(笑)現在鋭意執筆中で、出来れば今週中にはアップしたいと考えておりますが、今回も難産です・・・(^^;;)プロットはおおむね固まっているのですが、途中のストーリー描写が非常に稚拙なので、何度も書き直している最中です。
取り急ぎ楽しみにされている方のために、予告編だけ・・・↓↓

「日曜日の夕方、ガールフレンドの真紀とのデートの帰り道。京浜東北線の車内で、勇太は懐かしい人に出会った。その出会いが、図らずも彼の古い記憶を呼び覚ますことになる……。日々鉄道小景~ショートストーリー最新作 『記憶のかけら』。 近日公開予定!お楽しみに!!」


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流氷の平原を行く~北海道旅行記2 [北海道]

どこまでも続く鉄路、その脇にはオホーツクの凍てつく海に流氷が着岸しています。
遠くに列車のヘッドライトが見えてから、およそ5分、寒風吹きすさぶ中を快速列車が雪煙を上げて走り去っていきました。

この撮影ポイント、雑誌などにも結構紹介されていますが、たどり着くのは容易ではありません・・・
車を駐車できるスペースから、およそ20~30分は歩く覚悟が必要です(北海道の他の撮影ポイントに比べたらラクかもしれませんが・・・(笑))

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[2011/02/06 釧網本線 止別~知床斜里]


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朝日を浴びて~北海道旅行記1 [北海道]

またまた大変ご無沙汰しておりました・・・正月早々いろいろありまして・・・

さて、先週土日で釧路・知床に行ってきました。冬の北海道は初めてで、大変寒かったですが、とても美しい光景に出会うことができました。

写真は知床斜里駅近くの歩道橋からの撮影です。
朝一番の釧路方面列車が朝日にキラキラ輝いていました。

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[釧網本線 知床斜里-中斜里 By Canon EOS50D]


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